難発(吃音)・エッセンス

難発が生じる理由

思考のつまりと体のつまり

最終更新日 2024年4月16日(この文字色の箇所を挿入しました

自分の発話に注目した状態のまま言葉を話そうとしたり、口から出る音(口にしようとしている音)に注意を向けて言葉を口にしようとすると、発話(言葉の生成過程)に聴覚を巻き込むため※1、「(声に出して)考える」(=話す)※2ことができません。この状態は、話そうとして「言葉になる思考」※3が一時停止している状態です。

言葉を話すときの体の動き(発話運動)は、「言葉になる思考」(の展開)に条件づけられています。そのため、「言葉になる思考」が一時停止すると「発話運動」も一時停止します。

「言葉になる思考」が一時停止しているこの状態は、たとえば、「こんにちは」と言おうとしているのに、自分の発話に注目していることが原因で、あるいは、口にしようとしている音(口から出るはずの音)に注意のフォーカス(焦点)が当たっていることが原因で、発話に聴覚を巻き込み、「(声に出して)考える」ことができないため、「発話運動」も一時停止し、「こんにちは」の「こ」の音の言い始めの口や舌の形をしたまま(言葉を口にする)体の動作が止まって、先に進めない状態です。

「言葉になる思考」の一時停止に連動して「発話運動」が一時停止しているため、この状態のまま言葉を口にしようとしている限り、発話運動が再開する根拠がないため、(言い出しの音を発しようとする形で止まったままの)口や舌は次の動作に移れませんし、声になるはずの息も出てきません。

自分の発話に注目した状態のまま言葉を話そうとしたり、口から出る音(口にしようとしている音)に注意を向けて言葉を口にしようとして「(声に出して)考える」(=話す)ことができなくなったら、話そうとするのをいったん完全にやめるなどして、発話への注目を解除し(口にしようとしている音に向かった注意を外し)、意識を切り替え、仕切り直す必要があります。

意識の切り替えをせず(あるいは意識の切り替えができず)、自分の発話に注目した状態のまま、あるいは、口にしようとしている音に注意を向けたまま言葉を口にしようとすると、「(声に出して)考える」ために、(自分の口から出る)口にしようとしている「その音」が必要になります。そのため、その状態のまま無理に言葉を口(耳)にしようとします。

しかし、自分の発話に注目していることが原因で、あるいは、口にしようとしている音(口から出るはずの音)に注意のフォーカス(焦点)が当たっていることが原因で、「言葉になる思考」が一時停止し、それに連動する「発話運動」も一時停止しているため、なんとか言葉を口にしようと頑張っても、言い始めの音のかけらくらいしか口にできません。

そのとき、(言葉が問題なく出てくる)普段なら発話運動に吸収される、通常の発話行為として発話運動を構成したり、発話にアクセントを添えるような発話方向に向いた力も、発話運動が一時停止しているため発話運動に吸収されず、上半身の硬直や発声器官の力み、(喉の)締めつけのような形で現れるかもしれません。上半身の硬直や発声器官の力み、(喉を)締めつけるような感覚は、口から出る音に注意が集中した状態で言葉を口にしようとしていることが原因で生じる症状です。言葉が詰まる原因ではありません。「(声に出して)考える」ことができない段階で、すでに言葉は詰まっています。

 

発話:言語を音声として発すること。またその結果として発せられた音声のこと。(Wikipediaより)

※1 発話(言葉の生成過程)に聴覚を巻き込んだ状態は、「口から出る音」=「耳から聞こえてくる音」=「言葉になる思考」の状態/関係になっていて、耳から音(自分の声)が聞こえてこなければ「(声に出して)考える」(=話す)ことができない状態です。その状態のまま話そうとしている状態は、耳から聞こえてくる自分の声で考えよう(=話そう)としている状態です。

※2 「(声に出して)考える」(=話す):普段、仲のいい友達との面白い話に夢中になって、吃音(どもるかどうか)や自分の話し方を意識することなく、どもることなく話しているときに(あるいは、吃音が出ない部分で)、意識することなく普通にやっていることです。言葉を話すことを、言葉を話す体の動きを生んでいる思考の立場から、言い換えたものです。

※3 「言葉になる思考」:頭の中で「腹が減った」と展開すれば、その展開と歩調を合わせ瞬間を(ほぼ)同じくして「腹が減った」と口から言葉が出てくる思考。口パク(無音声による話す行為)と通常の声に出す話し方で同じ短文を交互に口にするとき、口パクをしているときに頭の中で聞こえている思考(ないし、その思考を生んでいるもの)。

「言葉になる思考」の展開と「(声に出して)考える」は、話すという行為の別の表現です。

 

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発話への注意は耳(聴覚)を通して向けています。どもるときの話し方が発話(音)に注意を向けることと一体化していると、言葉を話そうとして口から出る音に注意を向けていることに気づきにくいです。本人は話そうとして言葉が詰まって出てこないと考えます。実際には、(同じ音について)聴くことと話すこととを同時に行おうとして言葉が詰まっています。

言葉の正体は思考なので、耳(聴覚)を通して自分の発話に注目するということは、自分の思考が生まれる瞬間を見ようと凝視することでもあります。単なる思考であっても、思考が生まれる瞬間を見ようとする大きな主体が考える主体とは別に立って、思考が生まれる瞬間を見よう(聴こう)とすると、その間、新しい思考は生まれません。

言葉が詰まった状態からでも、「え~」とか「あの~」などの自分では言葉だと思っておらず(それゆえ)口から出る言葉(音)に注意が向かうことのない類の言葉がすんなり出てきたり、とっさに浮かんできた言い換えの言葉がすんなり出てきたりするのは、その言葉を口にしようとするときに(その言葉が浮かんでくる瞬間に ← 注意が転換)、発話への注目(音に向かった注意)が外れるからです。

言いにくい音として特定の音を意識すると、その音が先頭で来るとその音の発話に注目する条件反射が形成されます。特定の音が言いにくいのはその条件反射のせいかもしれません。

リラックスしているときやこれと言って言葉や話し方を意識していないときにふと出てくる吃音は、(口から出る)音で考えよう(=話そう)とする(自動化した)話し方の癖が顔をのぞかせているだけかもしれません。

言葉が、次々と考えが浮かんでくる自由な思考だとすると、言葉を意識すること、発話を意識すること、言葉をコントロールしようとすることは、思考が本来持つその自由を奪うことになります。